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2012年07月13日

2125108 感動したこと

 私の感動したことは、高校2年生のときの文化祭です。なぜ高校2年生なのかと
いうと、生徒会の中心的役割で文化祭の企画から携わったからです。
 1年生の時から、生徒会に所属していました。自分たちでイベントの案をだし、
周りに指示をし、文化祭を成功させている先輩に憧れていました。かっこいいと思
う反面、大変なことだということも、わかっているつもりでした。文化祭の準備は
1ヶ月以上前から行われました。私の担当は、模擬店やカラオケ大会が行われる、
ホールの準備でした。イベントの中心である体育館のステージに比べれば、楽なも
のだとなめていました。
しかし、ホールの飾り付けは想像以上に題大変でした。まずくさり作りから始めま
した。
簡単で楽しそうに思えたけど、地味に大変で人手と時間がかかる作業でした。最初
に文房具屋さんに行き大量の折り紙を買いました。
次に細長く6当分にひたすら切りました。それらの作業が終わりやっと、くさりに
していくことができます。正確に数までは覚えていませんが、教室いっぱいになる
まで、作りました。家に持ち帰り作り続けたこともいい思い出です。ペーパーフラ
ワーもたくさん作りました。
 文化祭の前日に飾り付けをしました。みんなに指示を出し、協力してもらいなが
ら鮮やかに、仕上げていきました。4回建ての広いホールは徐々に楽しい空間に変
わって行きました。飾り付けのデザインは、前年のものを参考にしつつ、正確に細
かいところまで、飾って行きました。
 装飾し終わったホールを見て私は、とても感動しました。楽しいイベント会場の
装飾など、当たり前のようにされており、それまでの過程を考える人などいませ
ん。しかし、装飾という形で文化祭を盛り上げれたことを嬉しく思いました。これ
が、私の感動したことです。
  


Posted by 芸短ネット演習 at 13:03Comments(0)

2012年07月12日

7月12日の記事



2123004日本語表現? 感動したこと 「出会い・つながり」


  人との出会い、つながり。短大生になってからというもの、私は日々これらに感動を受けている。真っ暗な海の底から、まぶしく照りつける太陽の光の下に顔を出したように、毎日の学生生活が輝いている。

入学してからこれまで、私は地域のコミュニティやボランティアなどの様々な場に参加してきた。その中で多くの人々に出会った。ある人が、本の大切さを、またある人は、世界は広く、人生は短いということを教えて下さった。学内でも、私が参加している活動について、なんでも一人でしたがる私に全力で協力してくれる、本当に信頼できるパートナーに出会えた。また、人とのつながりの大切さについて共感してくれる人たちや、どういう人間になりたいのか、何に悩んでいるのかなどをお互いに朝まで考え、話すような人たちにも出会えた。吉川英治氏の言葉に、「我以外、みな師なり」というものがあるが、私はまさに今この言葉の意味をかみしめている。私が出会
う人、皆が私より優れた面を持っており、その人と接すれば必ず何らかの学びがあるのだ。

去年の私にとって、学問のみという狭い世界が生活のすべてであった。そして大学受験を受けた私は自分の志望校に合格することができず、自分に失望し、無気力になり、もう誰とも関わりたくないとまで考えていた。しかし、実際に短大生となり、大学の形態など関係ない。むしろこの短期大学という大学の規模にこそ、学内外を問わず、軽いフットワークで動き回ることができる魅力があると、今は思っている。

人が好き。今の私の大部分はこの言葉によって形づくられている。自分が何かをすることで相手に喜んでもらえたり、笑顔をみることができた時にはすごく幸せを感じる。自分がここにいて、生きていることを実感できるのだ。人との出会いによって、自分が接客業につきたいという意思や、進学後の自分の姿も明確になった。そのことを教えてくれたのは、私が出会ってきた人たちなのだ。




  


Posted by 芸短ネット演習 at 22:05Comments(0)

2012年07月12日

日本語表現1 課題 2125033

「努力が報われた瞬間」
私が感動したことは、芸短大に受かったことです。
 高校受験のときは、すべり止めとして私立の高校も受けたため、落ちたときのための保証がありました。なので、少し心に余裕を持てていました。ですが、大学受験のときは、最初からこの芸短大に志望校を絞っていたため、もし落ちたら本当に行く場所がなくなってしまいます。だから私は、夏の終わりごろから芸短大の推薦入試に向けて、小論文と面接の練習をしました。
まず、小論文や面接にどんなテーマが出ても大丈夫なようにと、毎日毎日、新聞やテレビのニュースを見ました。私の家は新聞を取っていないので、毎朝、先生に新聞をもらってとにかく読みました。家に帰る時間も遅かったので、ニュース番組を録画して、時間のある日にまとめて観ました。
それから、小論文の練習をしました。数年前の実際の問題をといて、小論文の書き方や、問題の傾向をつかむようにしました。文字数も全く足りないし、書き方も何もかも先生に注意されまくっていたのが、何問もといたおかげで、だんだんと良くなっているのが自分でもわかりました。
面接の練習では、私は先生に最初、「そんなんじゃ絶対落ちるよ」とまで言われていました。志望理由が頭のなかではちゃんとわかっているのに、それを言葉に表そうとすると、緊張のせいもあってか、めちゃくちゃなものでした。私は、とても悔しかったし、基本のことから出来ていない自分に腹が立ちました。それから私は今まで以上に努力しました。一度注意されたことは、二度と注意されないようにしました。当たり前のことのように思えますが、この当たり前のことをすることが意外と大変です。「もう嫌だ」と何度も思いましたが、先生に言われたことが悔しかったし、何より妥協したくなかったので、本当に頑張りました。
そうして合格が決まったときに、今までの努力が報われて、ほっとしたと同時に感動しました。これが私の感動した出来事です。
  


Posted by 芸短ネット演習 at 21:39Comments(0)

2012年07月12日

2125101日本語表現 感動したこと

 もし、今みなさんがテレビアニメを見るとしたら、どのようなことを考えながら見るだろうか。
 ストーリーが面白いかどうか、キャラクターが可愛いかどうか、音楽がいいかどうかなど、たくさんの理由が考えられるが、いずれにしても私達はそれが実話じゃないことも、キャラクター達が現実に存在しないことも知った上で見ている。だからストーリーがよければ考えた作者がすごいとか、キャラクターが可愛ければデザインした人や声優が好きとか、そういう見方になってしまうだろう。私もそうだ。
 けれど幼い頃は違った。箱(テレビ)の向こうではキャラクター達が呼吸をして、怒って、笑って、泣いていると信じていた。まさか、人が絵を描き、声をあて、動かしているなんて思いもしなかった。だからキャラクターと本気で友達になりたかった。キャラクターに恋をしたこともあった。○○のお嫁さんになる、なんて幼稚園の文集に書いたりもした。
 小学3年生の時、何かの番組に声優が出ていた。偶然見た私は、同時に、心から憧れていたキャラクター達がこの世に存在しないことを知った。ショックだった。
 けれどそれ以上に、声優ってすごい、と思ったのだ。声だけしか表現方法がないのに、彼女(彼)らが喋るだけでただの絵が生きているみたいに輝き出すのだ。いやもうあれは、私の中では本当に生きていた。事実を知ったその時が、今まで生きてきた中で一番感動した瞬間だ。
 彼女(彼)らはある意味マジシャンだ。いい意味で人を騙して、たくさんの人に夢を配る。それも、声優の場合、手段は声のみで。全身全霊を使っても未だ誰のことも幸せにしたことなどない私からしたら、尊敬してもしきれないほど立派だと思う。
 私は幼い頃から自分の声があまり好きではなかった。きんきんでうるさい、と言われるからだ。でも、小学3年のあの時、幼いながらも声優になりたい、と強く思った。「○○のお嫁さん」以来、はじめての夢。夢のような職業だが、今でもその願いがどうしても捨てきれないでいる。
 あの時以上の感動に、私は出会っていない。その感動が忘れられないのだ。
 
  


Posted by 芸短ネット演習 at 21:12Comments(0)

2012年07月12日

日本語表現1 イツメン

 高校3年の春、私は友達の温かさに感動した。
 2年のクラスが大好きだった私にとって、3年のクラス替えはとても苦痛に感じ
た。なぜかわからないが、私はイツメンとクラスが一緒になると自信に満ち溢れて
いた。その結果、自分の予想と大きくはずれ、新学期早々、泣くはめにあう。それ
に連れられて友達も泣く。
 クラス替えをはじめに、私は最もつらい経験をした。あんなに病んだのは初めて
だった。大好きだった友達とまともに話をしなくなった。学校に行ってみんなとワ
イワイするのが好きだったのに、人と関わるのが嫌になった。もちろん、家族とも
距離を置くようになった。ご飯ものどに通らなかった。とりあえず、学校には休ま
ず行った。
 友達が心配して、毎日話しかけてくれた。元気がでるように笑わせようにしてく
れた。男子も女子もみんなが心配してくれた。メールも電話も頻繁にしてくれた。
いつも一緒に居てくれた。なのに、私は、ほとんど口もきかず、無視といっていい
ほどだった。こんな私の為に、何でみんなはこんなに優しいのだろう。何で離れて
いかないんだろう」と思った。
 高校3年の5月。18歳の誕生日を迎えた。みんなからの誕生日メールで、自分の
誕生日を思い出した。学校が終わり、帰ろうとして靴箱に向かった。靴箱を開けた
瞬間、たくさんの手紙、お菓子が溢れ出した。帰りながら、手紙を一枚一枚読ん
だ。涙が止まらなかった。みんなに申し訳ない気持ちと、感謝の気持ちでいっぱい
になった。これをきっかけに、私は少しずつ前を向いて進み始めた。
 誕生日から1か月後、いつものように昼休みを過ごしていた。突然、クラスの男子
が集まってきて、イツメンと一緒にハッピーバースデイを歌ってくれた。サプライ
ズで、アルバムをもらった。みんなのメッセージを読んで大泣きした。いつも支え
てくれる友達の存在の大きさに感動した。感動を通り越した感動だ。私の自慢の友
達。一生大切にしていきたい。  


Posted by 芸短ネット演習 at 19:37Comments(0)

2012年07月12日

2125050 日本語表現期末課題 送り直し

「その一瞬への軌跡」
 私は10歳からバスケを始め、12歳の頃には大分で優勝を経験し、全国レベルの大会にも呼ばれるまでに良いチームに恵まれた。しかし、私は毎日、淡々と練習を流す日々を送っていただけだった。そんなある日突然、私のバスケライフの転機を迎える時が来た。それは中学2年の夏だった。
 中学に入ってからもすぐに、レギュラーとして試合に適用され、何不自由ないバスケライフを送っていた。そして2年の夏、私は急にレギュラーから外された。宣告も一切無く、練習試合でさえ、1秒も試合に出してもらえなくなった。監督に原因を追及しても、答えてはもらえなかった。あまりにも簡単であるからだと考えた。ずっとレギュラーとして出場し、選抜選手にも選ばれるようになった私は、己を過信し、怠けた生活を送っていたためである。プライドを切り裂かれ、とても悔しかった。私は、そう感じた瞬間から努力することを決心した。それから毎日、練習終了後も、体育館が閉まるまでひたすら欠かさず個人練習をした。怠慢する私を見ていたならば、努力する私も見てくれるだろうと信じてい
た。
 苦しい日々を送った後、レギュラーとして復帰できたのは中学生最後の大会であった。そこでチームとしても、個人としても良い成績を修めることができ、高校からオファーを貰うことができた。中学を卒業した後に、監督と偶然話す機会があり、そこで私に、「よくあの状況で腐らずに頑張ったな」と言ってくれた。私はその瞬間、初めて頑張って良かったと心から思うことができた。自分の存在や努力したことを認めてもらえることがこんなにも嬉しいことだとは想像もつかなかった。涙が止まらなかった。 今でもバスケを続けている。常に追究し、向上心を持って楽しんでいる。あの苦悩の日々を乗り越えた私はバスケだけでない、「ライフ」の糧となっていることを実感している。今では、監督に、あの
日私を外してくれたことを感謝している。
  


Posted by 芸短ネット演習 at 16:39Comments(0)

2012年07月12日

日本語表現 期末課題

感動したこと 初めての登山     2125028
 私が感動したことは、中学校1年の時に初めて登山をしたことだ。 
私の通っていた中学校では、毎年新一年生がゴールデンウィークが終わった瞬間
「宿泊研修」という行事に駆り出される。これについて私は、部活の先輩から
「○○少年自然の家虫だらけで寝られない」「寝るときベットが崩壊する」などさ
んざん聞かされていた。中でも一番は「登山めっちゃだるい」これはどの先輩も口
をそろえて言っていた。 
険しい坂道を上り、虫に食われ、かゆいしきついし、暑い、だるい。私たちは新入
生だというのになぜ入学早々こんな苦しい思いをしなければいけないのか。ずっと
そればかりを考えていた。山道は想像以上に険しく、体力も気力も奪っていく。し
かし、誰も足を止めない。頭が痛くなっても、息が苦しくなっても、足が痛くなっ
ても、自分の意志で足を進めて歩く。何度も諦めの囁き声に誘惑されるが、仲間の
励まし声が誘惑を断ち切ってくれる。友達と楽しく話しながら進んでいくと、頭の
中では頂上に立っている自分が想像できた。あと少し。先生の「もう少しでゴール
だ」と言う嬉しそうな声が聞こえてくる。大きく息を吸い込んで大きく一歩を踏み
出すと澄んだ空気の中に自分たちが住んでいる町が見えた。こんなに高いところま
で登ってきたのか。こんなところまで自分の足でのぼってきたのか。登りきると、
今までの疲れやだるさは消えてただただ達成感と美しい景色に感動した。同時にこ
こまで投げださずに登ってこれた自分に自信も持てた。辛い辛いと決めつけて行動
しなければ何もできない。やる前からあきらめたり、人の意見に振り回されてるば
かりでは何も得ることはできない。この登山を通して私は諦めずに最後まで行動す
ることの大切さを学んだ。これからも山を登るように川を渡るように辛いことの連
続だろう。しかし、その先にきっと得るものがある。それをつかみ取るまでは、決
して歩みを止めず歩き続けるべきだと思う。
  


Posted by 芸短ネット演習 at 12:46Comments(0)

2012年07月12日

2125018

感動したこと/親友の存在

私が感動していることは友達との関係についてです。
中学生の時、特に3年の時、私は常に4人グループの中にいました。幼稚園の時からの付き合いの子が1人、中学で出会った子が2人、そして私の4人です。私たちの仲の良さは同級生からも一目おかれていました。
「私、あの人が好きなんだー」とか、恋バナは数えきれないほどしたし、彼氏が出来ればみんなで喜びました。「スカートの丈がみじかい!」と先生に怒られ追いかけられるのを4人で逃げ回ったり、ルーズソックスを脱がされたり、昼休みには決まって音楽室に行きはしゃいだり。思い出は星の数ほどあります。
しかし、仲のいい私たちにも分裂した時期がありました。でも、そんなときに面と向かって文句がいえるのはこの4人ぐらいでした。正面からぶつかりあえる仲だからこそ、私たちの絆は深いのだと思います。そして、とても信頼しています。
高校は4人ともバラバラになってしまいました。でも、頻繁にあつまっていました。お世話になったのは地元のジョイフル。騒いで、食べて、語って、4人でいると時間を忘れてしまいます。仲の良さは親も理解してくれていて、私が「今日、4人で遊ぶから」と言うと「帰りは遅くなるんでしょ?」と言ってきました。
大学受験をしたのは私だけだったのですが、3人ともすごく応援してくれていて励みになりました。第一志望校に落ちてしまい、芸短に入学する結果になりましたがすぐ逢える距離ににるので、ある意味よかったです。
この前、「おばぁちゃんになってもうちらは一緒やろーなー」としみじみ話しました。「それ、わかる」と、4人とも言いました。本当にそうだな、と思わずにはいられません。こんな私と一緒にいてくれてありがとう。また、近いうちに逢おうね。

  


Posted by 芸短ネット演習 at 10:49Comments(0)

2012年07月12日

2125077

私は、幼稚園から小学校卒業まで習っていた、珠算・暗算が大嫌いだった。6級を過ぎた頃からやめたいと思っていた。でも、母はずっと「いつか無理矢理にでもさせられたことに感謝する時がくるけん。」と言って、中々やめさせてくれなかった。そんなことを言われても、意味が分からなかった。
 幼稚園生の時、無理矢理九九表を覚えさせられた。小学校2年生の冬休みなんてほとんどなくて、皆が遊んでいる中、1人でそろばんをはじいていた。平日も休日もそろばんが終わるまで遊ぶことなんてできなかった。そろばんができてなんの役に立つんだろう。計算なんて、そろばん習ってない子だってできるじゃん。褒められても全然嬉しくない。私以上の人なんて、そろばん教室にはいっぱいいる。すごくなんてない。辛いだけ。幼い私は、ずっとずっとそう思ってきた。
でも、今になってやっと、あの時、母が言っていた「いつか無理矢理にでもさせられたことに感謝する時がくるけん。」という言葉の意味が分かった気がする。
考えてみれば、祖母も祖父もいつも応援してくれた。合格する度、私の母に賞状をカラーコピーしてもらい、額縁に入れ、飾り、近所の人や親戚に自慢さえしていた。段を受験するのに1回2,700円かかっていたのに、途中から祖父が払ってくれるようになった。家事などで大変な母は、いつも私のそろばんに付き添って丸付けをしてくれた。父は、幼かった弟たちを連れて外で遊んであげていた。辛くて影で泣いていた時を忘れる程、感謝の気持ちでいっぱいになる。
昔は、感謝する時なんて一生こない。感謝なんてするもんか、とまで思っていた。でも今は、こんなにも感謝している。感謝することができるようになった自分、褒められると素直に嬉しいと思える自分、そろばんが少しでも好きになった自分、感謝してもしきれない程、たくさん協力してくれた皆に感動している。



  


Posted by 芸短ネット演習 at 09:14Comments(0)

2012年07月12日

感動したこと 2125035 亀山真依

私が今まで感動したことは、中学生時代に入部していたバレーボール部の公式試合で初めて優勝したことです。
 小学生の時に「アタックNo.1」というテレビドラマを見て、影響を受けて憧れてバレーボール部に入部しました。それまでは、バレーボールとかした事もなかったし、興味も全くありませんでした。
 そんなテレビの主人公に憧れて軽い気持ちで入ったバレー部。ですが、いざ、入部してみると自分が想像していたものとは全く違うものでした。私の目の前に広がったのは、テレビドラマと掛け離れ、試合では一度も勝つ事が出来ない弱小バレー部。そして、自分自身も当たり前だけど主人公みたいにはなれず、初心者なだけあって、ルールも全然分からないし、ボールは変な所に飛んでいくし、腕に青じみや内出血とか出来るしで、本当に本当に大変でした。しかし、チームみんなで協力さ、公式試合で優勝するという1つの目標に向かって日々、練習に励むと、だんだん上手くボールが返ったり、スパイクが決まったりと、上達していきました。
しかし、私達は初めての公式試合で惨敗してしまいました。悔しくて全員で泣きました。ですが、この試合を通して団結力が一気に強くなったと思いました。そして、冬になり、引退も近くなった頃、公式試合で1勝も出来なかった弱小バレー部が初めて優勝することが出来ました。その時は、本当に本当に嬉しかったです。1年前に流した悔し涙が嬉し涙に変わった瞬間でした。監督にも保護者ね方にも恩返しが出来た気がしました。
バレーボールを通して学んだ事は本当にたくさんあります。中でも監督がずっと言っていた「感謝の気持ちを忘れるな」というのは今では私の座右の銘にしていて忘れないようにしています。これから先、辛い事とかあっても、この経験を思い出して、諦めなかったら必ず夢だって掴めると自分に言い聞かせていきたいです。
  


Posted by 芸短ネット演習 at 01:59Comments(0)

2012年07月12日

日本語表現Ⅰ 期末課題

 


2125048
感動したこと/自分の変化と受験合格。
 「私なんて消えてなくなればいい」。そんな事を生まれて初めて思ったのは、3年前の高校受験合格発表の日だ。あの時の屈辱は、今も忘れることは出来ない。中学時代、私は勉強が大嫌いで先生や親に反抗ばかりしてきた。特に母への反抗が激しかったと思う。私とは違い、優秀な兄二人と比べる親が大嫌いだった。何を言うにしても、必ず「お兄ちゃんはできるのに、なんであんたはできないの?」。と言われる。先生も親も誰も私のことを見てくれてないくせに、どうして言うことを聞かなければいけないのか、どうして嫌いな勉強をしなければいけないのか、あの頃の私には理解できるわけがない。だが、中学3年生になった頃、仲の良い友人達と「みんな一緒の高校に行こうね」。と約束した。その日か
ら私は猛勉強を始めたのである。ただ、みんなと一緒の高校に行きたいという気持ち一心で。
 しかし、今までの反抗と勉強不足のつけが回り、結果は不合格。当然友人達と同じ高校には行けなかったのだが、それ以上に、私のせいで、あんなに嫌いだった母の、隠れて泣いている姿を見た事が一番辛かった。数日後、同級生の男子に街で会い、「落ちた奴」。と笑われた。その日から人が怖くなり、部屋から出られなくなったのである。みんな、私のことを笑っているのだと思うと、恥ずかしくて、悔しくて、怖くてたまらなかった。そんな病んでいる私に兄が「そんなに悔しいならどん底から這いあがって、見返してみろよ」。と部屋のドア越しから、決して優しいとは思えない言葉をかけてきた。だが、その一言は厳しいが、私を立ち直らせ、やる気を出させてくれた言葉だ。
 そして私は、2次試験で受かることのできた商業高校で3年間、生徒会や部活動、資格取得に力を入れながら、皆勤で学校に通った。今までと違う気持ちと、自分自身の変わり様に驚く。だから、あの同級生の男子には感謝している。あの時笑われていなかったら、今も私は変われていないままだと思うから。おかげで、第一志望だった大分県立芸術文化短期大学に合格することができた。でもまだ努力して上を目指したい。限界まで。
  


Posted by 芸短ネット演習 at 00:32Comments(0)

2012年07月12日

小さなガッツポーズ 2125047

高校卒業して、近所で見つけたお店、そこはお弁当屋さんで、よくお母さんがご飯
を作れない時にお世話になっていた。人生初バイト、初面接に緊張の連続だった。
お金を稼ぐことが大変なのは、お母さんやお父さんをよく見て知っていたけど、見
たりすることと体験することは全く違うのだとその時始めて気付いた。店長は、優
しそうなおばちゃんで、人手不足だったためすぐに面接も受かり次の日からバイト
の毎日が始まった。新入りの私に任される仕事はごく単純で簡単なものばかりだっ
た。そのお店は夜の方が忙しく、私は昼に入ることが多かったので、修羅場のよう
な忙しさを体験することはなかったが、お昼のピークは忙しく、プチ修羅場という
感じだった。そんな所で新入りの私は邪魔者になってしまい、肩身の狭い気持ちに
なることも多かった。指示されていた仕事がお昼のピーク前で終わったりしてしま
うと、バイトの先輩たちは全員注文されたお弁当を作り始め、仕事が終わって次に
何をすればいいのか聞けないのだ。その先輩たちが忙しく仕事をしているのを見る
と、邪魔になると思った。その日もその状況に出くわしてしまって、どうしようか
迷っていた。先輩に話しかけようとしてやめた。その先輩は私が声をかけられずに
いるのを、サボっているのだと他の先輩に話していたのだ。信頼していた先輩に裏
切られた気分になって、悲しくなった。そんなつもりではなかったのに。年の離れ
た人の多い職場では、気が合わないのかもしれない。先輩の陰口に悩みながら、一
か月が経った。重い足取りで職場に出勤すると、店長に声をかけられた。「はい、
これ。今日も頑張ってね」。それはお給料だった。光ってなんかいなかったけど、
私には光っているように見えた。この一カ月、私はちゃんと頑張れていたんだ。私
は胸が熱くなり、更衣室で小さくガッツポーズをした。その日の仕事には、笑顔で
取り組むことができた。
  


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2012年07月12日

2115067

『感動したこと』

ゆったりとした音楽が流れる。同時に登場したのは、赤と黄色の着物を身に纏った2人の女性。ライトアップされたステージを少しずつ歩む姿は、思わず息をするのも忘れる程美しいものだった。

私は先日、人生で初めてファッションショーを見に行った。正直、実際に見るまでは、乗り気ではなかった。知人の紹介で、雷雨のなか市内の会場へと足を運んだ。通された真っ白い部屋には、何とも言えない空気が漂っていた。その空気に気圧され、少しばかり鼓動が速くなる。定刻になると司会者が紹介をし、音楽が流れ始めた。

それから30分は一瞬の出来事だった。何もなかった空間にパッと華が咲き、キラキラした時間があっという間に過ぎていった。

様々なテーマがあるなか、一番感動したのは、白無垢を着た女性と袴を着た男性の結婚式の様子だ。本当の結婚式でもないのに、美しい2人を見ると、涙が出てきた。言葉にするのは難しいが心に響くものがあった。

私は今まで、ファッションショーを軽視していた。しかし、今回見に行ったことで、素晴らしいものだと感じることができた。この感動を他の人にも味わってもらいたいと思う。
  


Posted by 芸短ネット演習 at 00:16Comments(0)

2012年07月11日

2125119

日本語表現? 感動したこと
コンクール 2125119

 感動したこと、と言われてとっさに出てきたのは、小学校6年生の時、大分県のコンクールに出たことです。私は、幼稚園の頃に姉がきっかけでピアノを始めました。それから、小学校低学年の頃は週に一回レッスン。中学年では週に二回、高学年は週に三回くらいレッスンに行っていました。コンクールは九月に予選があり、10月に本選があります。5年生の時にもコンクールに出たのですが、予選で落ちてしまいました。
予選のレッスンは夏休み前からほぼ毎日ありました。台風の日もありました。レッスンが終わるのは、大抵11時過ぎでした。11時という時間には車が全然通らないので、言っていいのか分からないけど、自転車で道路の真ん中を優々と帰るのが秘かな楽しみでした。
 レッスンは、今日行って褒められたと思えば、次の日は怒られるというサイクルでした。でも、それは先生の作戦だったのだと、最近気づきました。それにすら気づかなかった自分は無垢だったと思います。
 その練習の結果、予選は通過しました。でも、そこで浮かれていられる訳もなく、本選の曲の練習の毎日が始まりました。また毎日レッスンを受けて11時に終わり、泣いて、泣いて、泣いて。
遂に本選の日になりました。朝早く起きて、神社にお参りに行き、会場に着きました。受付をして、控え室のなんともいえない異様な空気の中で過ごしました。そして、私の順番になり、演奏をしました。正直ほとんど覚えていません。気づいたら終わっていました。
結果は、なんと3位でした。とっても嬉しかったです。でも、それよりも嬉しかったのは先生に褒められたことです。「ppの音が私が今まで聞いたことがないくらい綺麗やったよ」と言ってくれました。尊敬している人に絶賛されるとこういう気持ちになるのだと知ることができました。辛かったからこそ味わえる気持ちだと思いました。
  


Posted by 芸短ネット演習 at 23:59Comments(0)

2012年07月11日

2125031

感動したこと/ありがとう、おめでとう



懐かしいクラスメートから連絡がきた。「来月ユミちゃん(仮名)の結婚式がある―」。あの先生が? いや、ただの噂に違いない。あんな真面目で純粋(想像)な先生が何の前触れもなく結婚するなんて。誰がたぶらかしたんだ。

田部夕実(仮名)先生は私が高二の頃、大変お世話になった先生だ。元担任である。

美人で親切ということで密かに憧れる男子も多かったようである。告白してきた男子生徒を振ったという都市伝説もある。私はこの先生に多大な迷惑をかけた。

高校三年に進級する直前に進路のことについて田部先生に泣きついた。クラス希望を推薦・就職クラスからセンター受験クラスに変更してほしいと詰め寄った。

 田部先生は私の無茶な要求を真剣に聞きながらこれからするべきことなどについて助言してくれた。先生はその後、すぐ転任してしまった。クラス替えが叶わず、クラスで一人センター利用の国公立大学受験を目指すことになったが、あの日の助言のおかげで私は去年一年間を乗り越えることができた。何度励まされたことか。一年たった今、会いに行ってお礼を言おう。

 そんなことを思っている矢先の報告だった。後になって結婚相手が分かった。高二の頃、隣のクラスの副担任をしていた数学の浅本先生(仮名)だ。成長したのび太みたいな顔をしている。髪型はマッシュルームである。よくコンビニで漫画を立ち読みしているらしい。信じられないと思った。二人が釣り合うはずがない。そう思っていた。

 元クラスメートたちと一緒にサプライズを企画することになった。こっそり作っておいたお祝い映像を披露宴の時に流し、会場へ乱入して歌を贈った。皆に祝福されている二人は本当に幸せそうだった。生徒たちの話を聞きなから恥ずかしそうな顔をしながら、顔を見合わせて笑う二人を見て、お似合いだ、と思った。これから先もお似合いの二人でいてほしいと心から願った。鼻の奥がツンとして、涙が出そうになった。

 去年、離任式の時に泣いていた先生が、また、泣きそうになっていた。私は先生のもとに駆け寄って伝えた。本当におめでとうございます。先生のおかげで今、笑っていられる自分があります。ありがとうございました。二人とも、幸せになってください。

  


Posted by 芸短ネット演習 at 23:59Comments(0)

2012年07月11日

日本語表現1 期末課題 2125037

感動したこと/自慢の姉ちゃん

私には年の離れた2人の姉がいる。上の姉はしっかり者で少し気が強いが、私たち3姉妹の中
で一番女子力が高い。下の姉はとにかく行動的で家でじっとしていることがあまりなく、歌や
ダンスがとても上手い。小さい頃から二人は私の憧れだ。
4月、私は実家を出て一人暮らしをすることになった。家族は、末っ子で寂しがりの私に一人
暮らしができるのかとずっと言っていた。案の定、私は一人暮らしや大学生活になかなか慣れ
ることができずにいた。夜、静かな家にひとりで居ることがとても心細く感じる。寂しく、こ
れからやっていけるのかと毎日不安だった。そんな私を心配して家族、特に姉2人は頻繁に連
絡をくれた。「今何してるのー?」。こんな言葉から始まる姉との電話はとても落ち着く。少
しの空いた時間でも電話やメールをくれる姉達の優しさが、すごく嬉しかった。
 姉から一枚の画像が届いた。その画像は、一人の男の子が友達の肩を抱いて励ましているイ
ラストに姉からのメッセージが入っているものだった。「新生活はこれから!○○ならやれる
^^何事も前向きに!楽しんで!姉ちゃんたちがついてるよ」。涙が止まらなかった。シンプ
ルで短い文章だったが、今自分が一番言ってほしかった言葉をずばり言われた気がした。
ある時父は電話でこう話してくれた。「この前お母さんと話したとよ。お前がおらんくなって
姉ちゃんたち変わったなーって。お前が心配みたいで、前よりも姉らしくなったわ」。一緒に
住んでいるときには知ることのなかった姉2人の優しさを知り、胸が熱くなった。ただただ寂
しいと思っていた一人暮らしも、悪くないなと思えるようになった。今までもこれからもずっ
と2人は私にとって憧れで、自慢の姉だ。



--
c12037@oita-pjc.ac.jp
  


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2012年07月11日

日本語表現? 期末課題 2125021

感動したこと 「たった一年」



 「一年間で親しくなれるわけがない!」。高校三年生の4月、私たちのクラスの全員が思っていたことである。私が通っていた高校は人数が少なく、各学年1クラスしかなかった。1年生の時に担任だった先生は、2年生の時も担任で、クラスの全員、先生のことが大好きだった。そして3年生なる前にその先生は異動になり、4月からは新任の女の先生が担任となった。お互い何も知り合ってないことを理由に、私たちは殻に閉じこもった。先生の、受験生を受け持つ大変さを考えずに。

部活動をきっかけに、私はクラスの中でも先生と打ち解けるのが早かったと思う。進路の話や個人的な悩み、クラスの状態など、話す時間があるときは先生と話していた。話せば話すほど、先生がいい人と分かるのに、一学期までに先生を受け入れていた人は殆どいなかった。2学期にあった運動会でも 先生と一緒にクラス写真すら撮ることを拒んでいた。クラスの皆が、だんだん変わっていったのは進路について真剣に相談し始めてからだった。

全員が進路決定したのは2月の初旬だった。皆が先生と分かり合えるようになったなと思っていたら、もう卒業式が目前だった。思い出といえば進路のこと、文化祭、クラスマッチと、少なすぎてしまった。

卒業式を終え、最後のホームルームの時間となった。先生が3年間の思い出をスライドショーにしてくれていた。それを見てもよく分かるのは、先生との写真が少ないこと。私たちがもっと早く素直になっていれば、と申し訳ない気持ちになった。最後には一人ひとりに対してのコメントがあった。見終わったあと、すごく感動した。手のかかる私たちを、たった一年でも、前の担任の先生以上に私たちのことを理解してくれていた。一人ひとりに向かい合って、どんな話でも真剣に聞いてくれた先生に、すごく感謝している。今まで出会ってきた先生の中で一番大好きだ。先生、私は今、先生が薦めてくれた芸短で頑張っています。

  


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2012年07月11日

2125009

課題「感動したこと」

私の友人
「スキーなんか大っ嫌い!!!!」
彼女の大きな声が北海道の真っ白な大地に響いた。そこにいた生徒やこの罵声を浴びせられ
たスキー講師の方はポカーンとした表情のまま固まっていた。
彼女の名前は本人が匿名希望しているため言えないが、高校時代、私の中で最も印象に残っ
ている人物である。
私は全校生徒30人にも満たない中学校を卒業した。私の学年は14人しかいなかったが、一つ
上は4人、一つ下は7人だったので多い方だった。学校には校則を破って怒られる生徒や怖い
先生はいなかった。そんな環境で育ったためか、高校に入学したての頃は中学の全校生徒よ
りも多い40人のクラスや、700人以上で行われる全校朝礼が圧倒的でなかなか慣れなかっ
た。
そんな中、彼女を見つけた。彼女はスカートを短くし、髪を染め、校則を破ってばかりだっ
た。そして、いつも先生に怒られていた。私の彼女に対する第一印象は最悪で「こんな子と
は一生付き合ないだろうな…。」そう思っていた。
 二年生になると同じ教室に彼女がいた。不安だったが何もないまま過ぎた。そして、12月
の修学旅行。北海道でのスキー研修2日目で例の彼女の言葉が響いた。「優しく教えてくれ
る講師にどうして酷い言葉を浴びせたのか。昨日までスキーを楽しんでいたのに…。」私は
疑問でいっぱいだった。後から本人に聞くと、前の日の夜に先生に怒られてイライラしてい
たらしい。
 いつのまにか彼女と仲良くなっていた。今では1番の親友だ。悩みはなんでも相談できる
し、高校時代の愚痴を話し出すと止まらない。北海道での事件も今では笑い話だ。でも、な
んでこんなにも仲が良くなったのか、本当にわからない。思い出せないのだ。私が感動した
ことは彼女と友達になれた事だ。あんなに印象が悪かった人とこんなにも仲が良くなれたの
は本当に信じられない。彼女と一緒にいた事で視野も広がり、多くの友人ができた。感謝し
てるし、これからも本音でぶつかり合える友達でいたい。
  


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2012年07月11日

日本語表現I課題/感動したこと

「虜」

 私が最近の出来事で一番感動したのは、Mr.childrenのライブに行ったことだ。ミ
スチルとの出会いは約6年前にさかのぼる。中学2年生の私は、何気なくついていた
音楽トーク番組を観ていた。そこにトークが印象的なアーティストがいた。下ネタ
を連発し、あげくに知能が中学生レベルと言われていた。私は「こんなふざけたア
ーティストもいるのか」と思った。だが、演奏が始まると私の考えは一変された。
トークの時とはガラッと顔つきが変わり、真剣な表情で訴えかけるよーに熱唱する
姿に、瞬きをするのも忘れるぼど釘づけになっていた。音楽に全く興味がなかった
私でさえ、その曲の歌詞の素晴らしさが伝わってきた。その日から私はMr.children
というアーティストの虜になった。
 それからファンクラブに入り、ライブには毎回行っているが、この間、福岡であ
ったライブは今まで行った中でも一番感動した。今年はデビュー20周年ということ
でベストアルバムを出し、それを引っさげてのツアーだったので、それはもう最高
のセットリストだった。ライブで盛り上がるお決まりの曲はもちろん、めったに演
奏しない珍しい曲などもありの、20周年にふさわしいライブだった。だが、今回一
番最高だったのは席だ。ボーカルの桜井さんの汗がはっきりと見えてしまう近さ
で、一生分の運を使い果たしたと思う。その近さでバラードの弾き語りなんてされ
てしまったら、メロメロにならないわけがない。私に彼氏が出来ないのは、絶対に
この人のせいだ。
 今回のライブで一番印象に残っている曲は、「終わりなき旅」という曲だ。3/11
に震災が起こった日から、よく演奏されるようになり、『どこかに自分を必要とし
ている人がいる』という歌詞の『自分』を『あなた』に変えて歌われるようになっ
た。これは、被災者の方々に向けられたメッセージだと思う。
 ミスチルの歌詞は私にはまだ理解出来ないものがほとんどだ。これからたくさん
の人生経験をして、少しずつ理解出来るようになるのが私の楽しみだ。
  


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2012年07月11日

感動したこと「私の友人」2125093

 私には高校時代からの友人がいる。
 その友人はいつもマイペースで、とにかく謎が多い。普段はクールなイメージだ
と思われがちな彼女なのだが、ある日突然、ゾンビが好きだなどと謎の告白をして
きたり、私が弁当を食べている時に限ってグロテスクなホラー映画の解説をしてき
たりする。しかも目を生き生きと輝かせながら、無邪気な子供のように語り始める
のだからたちが悪い。私はいつも怒るにも怒れないのだ。高校時代同じ部活に入っ
ていて3年間も付き合っているというのに、未だに掴めない部分が多い友人であ
る。
 そんな彼女が芸短に入学して、ダンス部に入部したらしい。私は正直、その報告
を受けて驚いてしまった。いつも気だるそうな友人のことだから、てっきりサーク
ルには入らないのだろうと思い込んでいたからだ。そして、その報告を受けても、
趣味程度で入部したに違いないと軽く考えていた。
 私の安易な推測が覆されたのは、大学の七夕祭のことであった。前々から彼女に
「ダンス部、踊るから見に来てね!」と念を押されていたので、人ごみが苦手な私
だったが、芸短で出来た新しい友人と彼女の晴れ姿を見に行くことにした。会場に
着くと、すでに司会が進行していた。軽音楽部の演奏を眺め、いよいよダンス部の
発表の番である。
曲が始まった瞬間、私は言葉を失った。あの、脈絡のない会話をし始めるような彼
女が、センターに立って踊っているのだ。機敏さとは無縁の彼女が、完璧な振り付
けで踊っているのだ。あんなに格好良い彼女を見たのは初めてだった。隣に座って
いた新しい友人も、口を開けて、彼女を凝視していた。人間、本当に感動した時に
は声すらでないということを、鮮明に体験した時間だった。
 休みを挟んだ月曜日、私は早速彼女に感動したことを伝えた。彼女は、はにかん
だ笑顔で「ありがとう。」と笑っていた。そして、昨日見たホラー映画の話を始め
た。今日も友人は私の大好きないつもの友人であった。
  


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2012年07月11日

7月11日の記事

2125023

私が最近感動したことは、兄の結婚式だ。式の演出にも、いままで見たことのない兄の姿にも、とても感動した。
私は3人兄妹の末っ子である。2人の兄とは年が離れているので、2人とも私を可愛がり、よく面倒を見てくれていた。上の兄は、私が小学生のころにはもう大学生で、県外に出ていた。下の兄は、私が高校1年の時まで家にいた。だから、下の兄とのほうが話す機会も多く、仲がよかった。
結婚したのは下の兄である。周りの友だちは、「お兄ちゃんが結婚するとか、絶対感動するやろ」。とか言っていたけど、私は絶対感動なんかしないと思っていた。結婚式当日の朝も、準備をしている私に、「ちゃんとハンカチ持った?あんた絶対泣くけん持って行くんで」。と母に言われた。「お兄ちゃんの結婚式で泣くわけないやん」。そう思いながらも、一応ハンカチは持って行った。
式が始まり、たくさんの花で飾られたバージンロードを、真っ白なウエディングドレスを着て歩いてくる新婦さんは、とてもきれいだった。前日からずっと緊張していた兄が、バージンロードを歩いてくる新婦さんを、笑顔で待っている姿を見て、安心した。誓いの言葉を言い、お互いに指輪をはめて、終わるかなと思ったときに、兄が感謝の言葉を言い始めた。両親にだけかなと思ったが、私にも言ってくれた。わがままで、いつも迷惑をかけてきた私に、感謝することとか何もないはずなのに、一生懸命に言ってくれてとても嬉しかったし感動した。横を見ると家族全員泣いていた。
ほかにも、兄の友だちが作ったビデオや、新婦さんから両親への手紙、新婦さんを気遣う兄の姿など、本当にたくさんのことに感動して涙が止まらなかった。絶対泣かないと言っていた自分が、なんだか恥ずかしくなった。私もこんな結婚式を挙げて、今度は私が兄を感動させたいと思った。

  


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2012年07月11日

感動したこと「卒業の言葉」

 「この冬がラストチャンス。冬休み中にあと5点上げないと、今の志望校は厳し
いよ。」中学三年の冬、塾の先生に言われた言葉だ。私は冬休み、必死で勉強に打
ち込んだ。しかし、点数は伸びなかった。私は、中学1年生の時から、運動部に所
属し、3年の市総体まで部活に集中していた。そして、退部してからは、勉強をし
てきたつもりだった。家に帰れば、すぐ机について平日は1日4時間はしていたと
思う。しかし、秋くらいから結局最後の模試まで「あと5点」の壁は越えられなか
った。そこで仕方なく、志望校のレベルを1つ下げて受験し、合格した。
 進学した高校は、本当に楽しかったが、行きたかった高校の制服を着た人を見た
ら、「やっぱり、行きたかったな」と思ってしまっていた。そしてそう思うたびに
「私は頑張っても、結果を出せない」と思わされた。
 高校生活はあっという間にすぎ、卒業の日がきた。在校生の送辞も終わり、卒業
生の答辞が始まった。体育祭、文化祭、競歩大会や受験のことなど、3年間を振り
返った文だった。その中で私が感動した言葉がある。それは、文系の生徒が授業の
一環として考えた俳句だ。
「志望校 行けずに決めた 南高    とかいいつつも 南でよかった」
私はこの言葉を聞いて「この高校に入ったからできた事がたくさんあったな」と思
った。文化祭の練習は、公民館や中学校の体育館を借りて夜遅くまで練習し、最優
秀賞を取った。クラスマッチのバレーも土日に集まって練習し、ずっと最下位だっ
たけど、最後のクラスマッチには2位をとる事ができた。私はこの高校で、努力は
実るということや中学校の時の努力は足りなかっただけだということを教えてもら
った。そして何より、一生ものだと思える親友ができた。
 短大に入学して新しい目標を立てた。今度こそ、結果に届く努力をしようと思
う。
 
2125071保 香菜子
--
c12071@oita-pjc.ac.jp
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2012年07月11日

感動したこと「兄と甥っ子」2125038


私が感動したこと、ひとつは六歳上の兄の結婚だ。私は三人兄弟の末っ子である。八歳と六歳離れた兄が二人いる。離れているからあまり遊んだ記憶もないし、いつのまにか家を出て働いていたという感じだ。その六歳上の兄は就職で県外にでた。ある日、その兄が突然帰ってきて「結婚するけん」と言った。その場にいた私と母は驚いたが、母がひとこと「おめでとう」と言った。私は自分の兄弟が結婚ってどういうものかわからず、モヤモヤした気持ちのまま「おめでとう」と言ったが、日が経つににつれ新しい家族ができることが楽しみになった。
結婚式当日、私は兄に頼まれピアノの演奏をした。曲は奥さんが好きな曲だ。そのときに兄と奥さんに「ありがとう」と言われた。その言葉が嬉しくて涙が流れそうだった。特に、兄にお礼を言われるなんて考えてもいなかった。なぜかというと、兄には暴言を言われた覚えしかないからだ。私は兄と仲良く遊んだことを覚えていない。しかし、結婚式で言われたお礼の言葉は、大げさかもしれないが、私をちゃんと妹として一緒に育ってきたお礼のように思えた。いじわるばかりされたが、優しい面もある。結婚してからは尚更その優しさがわかるようにもなった。結婚式以来、お礼なんて一度も言われていないが、きっと次は私がちゃんと「ありがとう」と言わないといけないのだと思う。兄の結婚のおかげで、どんな仕事に就きたいかも決めることができたし、誕生日には欲しいものを買ってくれる。そんな優しい兄に感動だ。
もうひとつ感動したことは、私に甥っ子ができたこと。妹も弟もいない私にとって、甥っ子は宝物だ。なかなか会えないが会うたびに成長している姿に感動する。「あーちゃん」と私を呼ぶ声も、手を繋いでくるところも、全てが可愛くて仕方ない。これからも元気に成長する姿を見せてほしい。先月には二人目の甥っ子が誕生した。これからも私が感動するくらい大きくなってほしい。
私の生活の中には感動することが盛り沢山だ。家族や友達の優しさに感動したり、大学での活動で感動したり、とてもいい環境にいると思う。これからは私も多くの人を感動させたい。



  


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2012年07月11日

感動したこと/「初めての感動」

 私はあるアーティストの曲を聴いて、初めて気づいたことがある。その曲はゆずの「栄光の架橋」だ。
 私は、小学生頃からバレーボールを続けている。小学校から中学校に入学する頃何の迷いもなく、バレーボール部に入ると決めた。ところが、私の通っていた中学のバレーボール部はいわゆる強豪校だった。何も知らない私は小学校の頃のバレー部の気分で入部した。入部してからは苦難の連続だった。当時は県内では敵なしというくらい、強かった。もちろん、それだけの練習もしていた。休みなどあるわけではなく、先生だってものすごく怖い。私は何度も「なんでバレー部に入ったんだろう」と後悔した。毎日毎日、練習は憂鬱だった。私は、バレーはうまくなく毎日怒られるばかりだった。
 先輩方が卒業し、私たちの代になるとき、私はキャプテンをやることになった。本当はとても嫌だった。1番怒られるのはキャプテンだったからだ。今までの実績にプレッシャーも感じた。しかし、私たちの時代はそれまでのチームと違い、本当に弱かった。でも、練習の内容や、試合の相手などは今まで通り。私はそれでも、毎日努力した。辞めたいと思うこともたくさんあったが、厳しい練習に耐えた。
 そして、とうとう私たちの最後の大会。「それまで、つらい練習に耐えたのだから大丈夫だ」と思っていた。しかし、初戦敗退。きっと、それまでの学校の実績にもないくらい最悪な結果だったかもしれない。何の為に頑張ってきたのだろうとずっと思っていた。
 こんな過去を、曲を聴き思い出した。そして、この曲の中の「いくつもの日々を超えて辿り着いた今がある」というフレーズに気づかされた。「あの時努力して乗り越えたからこそ、今の自分がいる」ということを。なんだか報われた気がした。今までのもやもやがぱっとなくなった。1つ1つのフレーズが自分と重なり自然と涙が流れた。「感動ってこういうことを言うんだ」と初めて知った出来事だった。  


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2012年07月11日

2125066 日本語表現I 期末課題「感動したこと」

「たくましい私」
2125066

 最近私が感動したこと。それは私にとって嫌な思い出でもある。
 私は高校で空手道部に所属していた。初心者で弱かったが、日々の練習には真面
目に取り組んだ。少し練習についていけるようになった1年生のある日、兄に最大
級の怒りを感じたことがあった。今となっては、どうしてそんなに怒っていたのか
覚えていないので、きっとちっぽけなことだったのだろう。そのとき、私は壁に八
つ当たりをした。殴ったのだ。…痛かった。壁は意外と硬く、余計に怒りが増し
た。しかし、その日は壁をにらみつけて終わった。
 数週間前、兄に対して今までで1番強い怒りを感じた。兄は、私が嫌がっている
姿を面白がる、俗にいう変態だ。また、身長が180cmを超えていて、力も強い
ため、私に勝ち目はない。私が、家でちょっかいを出されることが嫌いなのを知っ
ているので、すぐちょっかいを出してくる。その日は、あまりにしつこくちょっか
いを出してきた上に、私が無視すると、本気で怒りだしたのだ。私はそれが気に入
らなくて、ちょっかいを出された時点でたまっていた怒りが、爆発してしまった。
力では敵わないので、私は、兄と共有の部屋に行き、壁を思いっきり殴ってしまっ
た。すると、なんと簡単に穴が開いたのだ! 私は怒りも忘れ、お母さんに怒られ
る! という思いでいっぱいになった。
 次の日、私は穴を開けてしまったことを黙っていた。しかし、すでにバレていた
みたいだ。お母さんは怒るどころか「すごいなあ! 穴開けるとか、かっこい
い!」となぜか喜んでいた。お母さんも少しおかしいのかもしれない。それを聞
き、以前は穴が開かなかったのに、今回は開いたことに気付いてしまった。高校3
年間の部活道での成果がこんな形でわかるとは!! 私は3年間で確実に強くなっ
ていた。3年間を無駄に過ごしてきた訳ではないと分かり、とても嬉しかった。初
心者で壁に負けていた、か弱い私はもういない。

  


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2012年07月11日

感動したこと「ばんざーい!ばんざーい!」2125006 

感動したこと「ばんざーい!ばんざーい!」

 私が5歳の時、弟が生まれた。弟が生まれた時のことは、18歳になった今でもはっ
きり覚えている。
 1999年10月21日の朝方、まだ暗い時間に父母妹私の4人で助産院へ向かっ
た。母が破水したからだ。母はピーナッツのキャラクターがプリントされている青いマ
タニティを着ていた。助産院に着いてから、妹と私は分娩室とは違う部屋に連れて行か
れた。パイナップルの形をした家のおもちゃで遊んでいると、助産師さんに呼ばれた。
分娩室に行くとちょうど弟が生まれるところだった。妹と私は弟が生まれる瞬間が一番
よく見える場所に立った。横から母と弟を見守っていた父に「邪魔になるけんこっちに
おりよ。」と言われたが、助産師さんはそこで見ることを許してくれた。そして、母の
足の間から、弟が出てきた。妹と父と私は両手を上げて「ばんざーい!ばんざーい!」
と言った。そのあと助産師さんは私たちを押しのけて弟をお風呂に入れに行った。
 弟は、約2400gできょうだいの中で一番小さく生まれてきた。小さい時は、たれ
目で髪がさらさらでとても可愛かった。母は「石田純一に似ちょんわー」と言ってい
た。でも13歳の今はきょうだいの中で一番大きい。身長169cm、体重73Kg
だ。真っ黒に日焼けして、坊主頭にしている。毎日牛乳をごくごく飲む。ご飯もたくさ
ん食べる。どんぶりがお茶碗変わりだ。平日は柔道を、土日はラグビーを練習してい
る。以前、家族についての作文課題が出た時、私は妹のことについて書いた。それを読
んだ弟は「真実ちゃん、今度は直哉のこと書いてな。」と言ってきた。可愛い所もまだ
少し残っている。
母から弟が生まれてくる瞬間を見たこと、これが私の感動したことである。
  


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2012年07月11日

7月11日の記事

題名:過去に負けない今を

もういっそうのこと消えてしまいたい。つい、そんな思いが私の中をかけめぐった。最近、何もかもがうまくいっていない気がする。慣れない大学生活。ありのままの自分がなかなか出せずにいる。始めてのバイトで失敗をした。バスに3回連続で乗り遅れた。親と大ゲンカをした。こういうとき、私は必ず友達に話を聞いてもらい励ましてもらっていた。しかし、そんな友達も違う大学へと進学し、県外へ出てしまった。会いたくても簡単に会うことはできない。そんなモヤモヤがいくつも積み重なって、ずっしりと私にのしかかってくる。ちょっとしたことさえも気にせずにはいられなかった。
さっきまで、降り続いていた雨は止み、雲の合間から春の暖かい日差しをのぞかせている。木々の若葉にはキラッと光るしずくに凛としていて、まるで私の様子をあざけ笑うかのように見えた。もう全てに見放された気分である。
それでも何とか前を向こうと、私はふっと空を見上げた。「あっ」遠くの空にぼんやりと色とりどりのアーチがかかっている。「虹だ」私はくいいるようにそれを見つめた。こんなに美しいものを見るのはいつぶりだろう。それは、小さくかすみ、今にも消えてしまいそうだった。決して完璧ではなかったが、私の目にしっかりとやきついた。周囲を見渡すと、人々は肩をすくめ、足ばやに歩いている。どうして、こんな美しいものに気づかないのだろう。そう思いながら、私は再び遠くの空を見つめた。もうそこに虹はなかった。私に心震える瞬間だけを残して消えてしまったのである。それとも、ただの見間違えだったのか…。その時、携帯がなった。高校の時の友達からだ。そこには、「なんだかゆきのちゃんが恋しくなってメールしたよ」と書いてあった。私の目から思わず涙が溢れ出た。  


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2012年07月11日

初めてのボランティア

「ただいま、あしなが学生募金を行っております!ご協力よろしくお願いします!」「よろしくお願いします!」そんな学生たちの元気な声が、トキワ前に響いた。芸短に入り、サービスラーニングを通して、初めてボランティア活動をした。印象に残っているのは、一番初めにした「学生あしなが募金」である。駅やデパートの前で募金の活動をしているのは、何度か見かけたことがあった。そういうのを見ても他人事だとしか思えなくて、募金に協力したことは少なかった。だから、募金活動をする側がどんな思いなのかを知りたくて、この活動に参加した。


いざ参加してみると、募金活動は体力的に辛いものだった。長時間の立ちっぱなしで足が痛くなり、容赦ない日差しで暑かった。そして驚いたのが、歩行する人たちの反応である。ちらっと一瞥するだけで足早に通り過ぎる人、迷惑そうな顔をする人。そこには私がたくさんいるようだった。他にも「うるさい」と怒る人や、「それは国がやることだ」と言ってくる人がいて、やる気を削られたりもした。


ただ突っ立っているだけでは何も始まらないので、呼びかけをした。初めは恥ずかしくて出なかった声も、だんだんと出るようになった。呼びかけの声が大きくなるにつれて、募金をしてくれる人も増えていった。自分が募金箱を持っているときに、募金をしてくれたときは本当に嬉しかった。お札を募金箱の中に入れてくれる人がいた。だが、募金の金額がたった1円でも何円でも、その嬉しさは変わらなかった。募金をしてくれる人たちの温かい気持ちが嬉かった。

このボランティアを通して、募金活動の喜びを知った。思いやりの心、助け合いの心、自分が不自由なく暮らしている幸せを、いま一度確認できた。もう募金活動を見かけても、他人事だとは思わないだろう。ここで経験したことは、他のボランティアやサービスラーニングにも通じるものがあると思うので、いかしていきたい。

2125092
  


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2012年07月11日

日本語表現?期末課題

『手紙』

私が感動したこと。それは、妹からもらった手紙です。昨年、センター試験前日のことでした。12時を回り、明日の準備などを終え、そろそろ寝ようかと布団に入ろうとしたとき、なにやら布団の枕元にキラキラと光るものが置かれているのが目に入りました。よく見てみると、板チョコとハート型に折られた手紙がありました。光っていた正体は、板チョコの銀紙でした。この手紙は何だろう?と思い、開いてみると、妹からの手紙でした。内容を紹介します。

“おねぇちゃん!!
明日、がんばって下さい!!
このチョコを食べて満点だー!!
おうえんしています。fighting !!”

まさか、妹が手紙を書いてくれているなんて思いもしていなかったので、とても驚きました。そもそも、私が明日センター試験だということを知っていたことにびっくりしました。10時頃まで一緒に起きていて同じ部屋にいたのにいつ手紙を書いて、置いたのだろう?…こんな時間にチョコレートを食べさせる気?センターで満点って…笑
などと、気になることやツッコミたくなるとことろがいくつかあったけど、それを忘れさせるほど、とにかく嬉しかったです。
姉の為に手紙を書いてくれる、こんなにも優しい妹に対して、今まで勉強ばかりでイライラしていた私は、冷たく接してしまうことが何回もありました。今までの自分が情けなく感じました。この手紙を貰ってからは、妹に付き合って遊んであげたりしています。妹のおかげで緊張することなくセンター試験を終えたので妹には本当に感謝しています。
今年は妹が高校受験の番です。姉として、アドバイスやサポートをできるように頑張ります。そして、妹にはキラキラ光る輝かしい高校生活を送ってもらいたいです。

情コミ1年 2125070 田村幸子

  


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2012年07月11日

2125043 「100円のハンバーガーで学んだやりがい」

 【感動】美しいものや素晴らしいことに接して強い印象を受け、心を奪われること。(大辞林 第二版より)
 私は高校を卒業してすぐ某飲食店でアルバイトを始めた。そこを志望した理由は以前から働いている友人が紹介してくれるから、という単純なものだった。私にとっては初のアルバイトで期待を膨らませていた。しかし、入ったと思ったらひたすら勉強。世界的に展開するお店ということもあり覚えることが沢山だった。あの時は受験で泣いた世界史並に一生懸命やった気がする。その甲斐あってか同期と比べても妙に自信だけはあった。
 でも実際やってみると、食材を間違えたりと初歩的な失敗ばかり。ハンバーガーの一つもまともに作れない。それが悔しく、先輩に習いに行ったり、プライドも捨て年下の後輩に教えてもらったりもした。ただ、負けたくなかった。
 そうして6月。私が働くお店では、毎月その月に一番活躍した人を従業員投票で決めるMVCというものがある。私はこれに選ばれることを目標にしていたが、従業員が約70人もいる中で選ばれるのは簡単なことではない。この時、すでに諦めかけていた。そんな時、バイト先の高校生からきたメール。「MVCおめでとう!」最初は意
味が分からなかった。やっと状況がのみこめた時は「やったあああ!!」とリビングの中、一人でガッツポーズを決めていた。本当に、本当に嬉しかった。
 「たかがアルバイトでしょ?」と言われたら確かにそうだと思う。私が居なくてもお店は潰れたりしない。だけど、あの場所には色々なことを教えてくれ、成長させてくれる人が沢山居る。今でもバイトのたびに新たな発見があるし、先輩の作る商品の綺麗さや仕事の早さに感動しっぱなしである。最近は、新人さんが増え教える側にまわることも増えた。卒業まで1年半、長いようで本当に短い。限られた時
間でもっと多くのことを出来るようになり、今度は私がお手本とされるような人になりたいと思う。
  


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