2012年07月25日

 「Life」

 先月、親戚のおじいちゃんが86歳で亡くなった。肺ガンだった。
 私はおじいちゃんを思い出すとき、笑顔の表情が浮かぶ。それはきっとあいさつにあると思う。あいさつをすると、何故かおじいちゃんはこちらを見て、ただ「にこにこ」と微笑むだけだ。でも私はその優しく穏やかな表情が好きだった。
 ガンが見つかったのは、亡くなる7カ月前の昨年11月。持病の喘息が悪化し、病院に行った際発見された。その時すでに末期だった。手術をしても効果は期待できない為、自宅療養を勧められた。
 ガン告知を受けてもおじいちゃんはこれまでと変わらなかった。煙草を医師に厳しく注意されながらも吸い、農作業までしていた。だから私は、残された時間があとわずかだという事を忘れてしまっていた。
 亡くなる2週間前に入院した時、行けたはずのお見舞いに私は行かなかった。と言うより、行けなかった。弱り、苦しんでいる姿を見るのは辛かったからだ。しかし、その事を今すごく後悔している。失くしてしまってからでは遅すぎるという事を思い知った。
 葬儀も終わり、納骨の日を迎えた。納骨が無事終わり、ふとお墓の傍を見ると、瓜のつるが見えた。かわいらしい黄色い花と小さな実を付けていた。コンクリートの隙間にしっかりと根を張り、悪条件の中でたくましく育っていた。一生懸命太陽に向かってつるを伸ばし、その時を力強く生きる姿は、キラキラとまぶしく思えた。そして何故かおじいちゃんを思い出させた。人から何と言われても好きな煙草を最後まで吸い、自慢の野菜を作り、めいっぱい自分の人生を生きた姿に似ている気がした。
 私は、亡くなってしまった命の分、新しい命が生まれているという事を実感した。命には限りがあるから生きている事が素晴らしく、輝いて見えるんだと思った。そして長さより、どう生きたかが大切なんだと感じた。自分に後悔しないように、幸せだったと思えるように、これからを歩んでいきたい。



Posted by 芸短ネット演習 at 13:49│Comments(0)
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