2012年05月12日
私の家族/危険な姉
姉は僕にとっての危険人物である。正確には、歳が二つ離れた二番目の姉。まず僕に対する口の悪さが異常だ。元々、思ったことをすぐに口にする。それが妙に僕の心をえぐってくる。言われたくないことを、場所も選ばず空気も読まず、まるで針の穴でも通すかのように、射抜いてくるのだ。もうなんだろう、むしろ、ほめたくなってくる。
次に、極度の頑固者だ。小学校低学年のときは、クラスで一人だけ泳げなかったらしい。それからというもの、当時は僕と父と姉で一緒にお風呂へ入っていたのだが、彼女はバタ足の練習をしてお湯をあふれさせ、一緒に入っていた父に叱られた。ちなみ、いまだに泳げない。
最後に――。これがもっとも厄介。かなりの天然であることだ。突然、背後からバシッと肩を叩かれて、「ヒッチハイク、ヒッチハイクー!」と言われたとき、あぜんとした。何言ってんだこいつ。聞いてみると、どうも「スキンシップ」と言いたかったらしい。どう言い間違えたらそうなるのか分からないが、だからこそ、姉は毒舌家なのかもしれない。このときは本気でそう思った。
しかし、どうしようもなく危険な姉にも、長所と呼ばれるものは存在する。僕が唯一、彼女に関心を持てることでもある。それは『自分がやると決めたことは何が何でもやり抜く』精神だ。姉は今、鹿児島の大学に通っている。実はこれ、親の反対を押し切ってのことだ。学力的にも厳しかったらしく、彼女は家では部屋に籠もって、机に向かう生活を一年間続けた結果、合格を手にした。
姉が僕に「へたれ」「マヌケ」と罵倒するのも、いつも真剣な姉だからこそだ。怠け癖のある僕を鼓舞してくれているのかもしれない。そう考えると、姉の毒舌も少しは可愛く思えてきた。
次に、極度の頑固者だ。小学校低学年のときは、クラスで一人だけ泳げなかったらしい。それからというもの、当時は僕と父と姉で一緒にお風呂へ入っていたのだが、彼女はバタ足の練習をしてお湯をあふれさせ、一緒に入っていた父に叱られた。ちなみ、いまだに泳げない。
最後に――。これがもっとも厄介。かなりの天然であることだ。突然、背後からバシッと肩を叩かれて、「ヒッチハイク、ヒッチハイクー!」と言われたとき、あぜんとした。何言ってんだこいつ。聞いてみると、どうも「スキンシップ」と言いたかったらしい。どう言い間違えたらそうなるのか分からないが、だからこそ、姉は毒舌家なのかもしれない。このときは本気でそう思った。
しかし、どうしようもなく危険な姉にも、長所と呼ばれるものは存在する。僕が唯一、彼女に関心を持てることでもある。それは『自分がやると決めたことは何が何でもやり抜く』精神だ。姉は今、鹿児島の大学に通っている。実はこれ、親の反対を押し切ってのことだ。学力的にも厳しかったらしく、彼女は家では部屋に籠もって、机に向かう生活を一年間続けた結果、合格を手にした。
姉が僕に「へたれ」「マヌケ」と罵倒するのも、いつも真剣な姉だからこそだ。怠け癖のある僕を鼓舞してくれているのかもしれない。そう考えると、姉の毒舌も少しは可愛く思えてきた。
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2012年05月12日
私の家族/おじいちゃんとキャッチボール
「ストライーク! バッターアウト!」。おじいちゃんの声がグラウンドに響く。
私のおじいちゃんは、ソフトボールの審判、市体育協会のソフトボール会長を務めている。すごく優しくて、自慢のおじいちゃんだ。おじいちゃんの影響で、私自身も中学校でソフトボール部に入部した。私は母子家庭で、キャッチボールの相手がおじいちゃんしかいなく、毎日のように、おじいちゃんとキャッチボールをした。家の隣にあるグラウンドの両端に立って遠投したり、ノックをしたり、バッティングをしたり、楽しく練習していた。
しかし、反抗期に突入すると、キャッチボールどころか、会話さえもなくなった。全ての理不尽な反抗を、おじいちゃんにぶつけた。なぜ、おじいちゃんなのか。理由は簡単だ。母が怖いからだ。おじいちゃんは優しく、絶対に怒らないと分かっていたからだ。
頭では「ひどいことをしている」と思っていても、気持ちとは裏腹に、態度は冷たいままだった。そして、高校を卒業し家を出ることになった。『このままじゃ、嫌だ」と思い、久々にキャッチボールに誘った。おじいちゃんは、待ってましたと言わんばかりに、すぐさまグローブを2つ持ってきた。なんだかおかしくって、なんとなく、胸が締めつけられた。
4年前と同じように、グラウンドの両端に立ちキャッチボールをすると、以前は、私まで届いていたおじいちゃんのボールが、届かなくなっていた。十数メートルしか投げられていない。私は、猛烈な自責の念に駆られた。汗を拭くフリをして、涙を拭った。
私は、その日以来、気持ちとともに態度も変わった。私が成長する間に、おじいちゃんも確実に成長し、歳を取っていた。考えたくはないが、必ず、終わりが来る。今はただ素直に「大事にしたい」と思う。照れくさいけど、大好きだと伝えたい。
私のおじいちゃんは、ソフトボールの審判、市体育協会のソフトボール会長を務めている。すごく優しくて、自慢のおじいちゃんだ。おじいちゃんの影響で、私自身も中学校でソフトボール部に入部した。私は母子家庭で、キャッチボールの相手がおじいちゃんしかいなく、毎日のように、おじいちゃんとキャッチボールをした。家の隣にあるグラウンドの両端に立って遠投したり、ノックをしたり、バッティングをしたり、楽しく練習していた。
しかし、反抗期に突入すると、キャッチボールどころか、会話さえもなくなった。全ての理不尽な反抗を、おじいちゃんにぶつけた。なぜ、おじいちゃんなのか。理由は簡単だ。母が怖いからだ。おじいちゃんは優しく、絶対に怒らないと分かっていたからだ。
頭では「ひどいことをしている」と思っていても、気持ちとは裏腹に、態度は冷たいままだった。そして、高校を卒業し家を出ることになった。『このままじゃ、嫌だ」と思い、久々にキャッチボールに誘った。おじいちゃんは、待ってましたと言わんばかりに、すぐさまグローブを2つ持ってきた。なんだかおかしくって、なんとなく、胸が締めつけられた。
4年前と同じように、グラウンドの両端に立ちキャッチボールをすると、以前は、私まで届いていたおじいちゃんのボールが、届かなくなっていた。十数メートルしか投げられていない。私は、猛烈な自責の念に駆られた。汗を拭くフリをして、涙を拭った。
私は、その日以来、気持ちとともに態度も変わった。私が成長する間に、おじいちゃんも確実に成長し、歳を取っていた。考えたくはないが、必ず、終わりが来る。今はただ素直に「大事にしたい」と思う。照れくさいけど、大好きだと伝えたい。
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2012年05月12日
私の家族/おばあちゃんのお骨
父方の祖母には、一度も会ったことがない。祖母は父が20歳のとき、病気でなくなったそうだ。しかし、私にも祖母のように慕っていた“おばあちゃん”がいた。父方の祖父の姉だ。幼い頃、私はおばあちゃんを本当の祖母だと思い込んでいた。私が絵を書いたり、小さい子供のお世話をしていたりすると、おばあちゃんはいつもほめてくれた。
私はおばあちゃんが本当に優しくて大好きだった。私たち家族が遊びに行くと、いつも手料理のご馳走を振る舞ってくれた。おばあちゃんの手料理は最高だ。おばあちゃんは一人暮らしだったが、毎日三食の食事を自分で作り、体調管理もしっかりとしており、いつまでも元気でいると思っていた。
しかし、そう長くは続かなかった。おばあちゃんは去年、私の誕生日に亡くなった。私は学校を三日間ほど休ませてもらい、おばあちゃんを最後まで見送った。「なんで死んでしまったん?」と、おばあちゃんに腹を立てることもあった。
最後の火葬での出来事は、今でも鮮明に覚えている。火葬を終えて、おばあちゃんのお骨が出てきたとき、火葬場の方から「このように立派な骨は大変珍しいですね。男性でもここまで骨が残る方はめったにいませんよ」と教えてもらった。確かに実際に見てみると、骨盤もしっかりとしていて、全体的にがっしりとした感じがした。
おばあちゃんはもともと背が高かったが、あまり肉が付いておらず細かったので、骨がこんなに太かったと知って、私はびっくりした。次第におばあちゃんが誇らしく思えてきた。私はおばあちゃんから、身をもって食事の大切さを教えてもらった気がする。きちんとした食事をとることで、自分自身の骨組みは出来るのだ、ということを学んだ。
やっぱり私は、おばあちゃんが大好きだ。本当の祖母ではないけど、私の大好きな自慢のおばあちゃんである。私の誕生日に亡くなった、というのも何かの運命かも。これからは私がおばあちゃんと共に、年を重ねていこう。
私はおばあちゃんが本当に優しくて大好きだった。私たち家族が遊びに行くと、いつも手料理のご馳走を振る舞ってくれた。おばあちゃんの手料理は最高だ。おばあちゃんは一人暮らしだったが、毎日三食の食事を自分で作り、体調管理もしっかりとしており、いつまでも元気でいると思っていた。
しかし、そう長くは続かなかった。おばあちゃんは去年、私の誕生日に亡くなった。私は学校を三日間ほど休ませてもらい、おばあちゃんを最後まで見送った。「なんで死んでしまったん?」と、おばあちゃんに腹を立てることもあった。
最後の火葬での出来事は、今でも鮮明に覚えている。火葬を終えて、おばあちゃんのお骨が出てきたとき、火葬場の方から「このように立派な骨は大変珍しいですね。男性でもここまで骨が残る方はめったにいませんよ」と教えてもらった。確かに実際に見てみると、骨盤もしっかりとしていて、全体的にがっしりとした感じがした。
おばあちゃんはもともと背が高かったが、あまり肉が付いておらず細かったので、骨がこんなに太かったと知って、私はびっくりした。次第におばあちゃんが誇らしく思えてきた。私はおばあちゃんから、身をもって食事の大切さを教えてもらった気がする。きちんとした食事をとることで、自分自身の骨組みは出来るのだ、ということを学んだ。
やっぱり私は、おばあちゃんが大好きだ。本当の祖母ではないけど、私の大好きな自慢のおばあちゃんである。私の誕生日に亡くなった、というのも何かの運命かも。これからは私がおばあちゃんと共に、年を重ねていこう。
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03:44
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2012年05月12日
私の家族/姉と私
姉と私。似ていないというか、真逆だ。私は、はんぺんみたいな顔だが、姉はハーフのような顔をしている。性格も私は人見知りで、とてもネガティブだが、姉はとても社交的でポジティブだ。好きなものも、姉が好きなものはだいたい私の嫌いな物だ。本当に真逆だが、真逆だからこそ、私は姉と一緒にいることが楽しい。
姉と一緒にいると、姉のポジティブな性格が移ったかのように、私は前向きになれる。人見知りもけっこう治る。ふだん一人では出来ないことが、姉と一緒なら出来てしまう。それがとても、うれしいし楽しい。
いつもそっと私を支えてくれる姉。彼女という存在がいてくれて良かったと、心から思う。この気持ちをお返ししたいとも思う。たがら、私はしっかりした大人になって、いざというときには姉を支えてあげたい。
先はまだまだ長い。姉のようなポジティブな考えを持って、頑張りたい。
姉と一緒にいると、姉のポジティブな性格が移ったかのように、私は前向きになれる。人見知りもけっこう治る。ふだん一人では出来ないことが、姉と一緒なら出来てしまう。それがとても、うれしいし楽しい。
いつもそっと私を支えてくれる姉。彼女という存在がいてくれて良かったと、心から思う。この気持ちをお返ししたいとも思う。たがら、私はしっかりした大人になって、いざというときには姉を支えてあげたい。
先はまだまだ長い。姉のようなポジティブな考えを持って、頑張りたい。
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2012年05月12日
私の家族/ドぉーナぁッツー
「あ、恵里の好きなドぉーナぁッツー」。音符が飛びそうな声で兄が言う。兄はドーナツ屋さんの横を通るたびに、上機嫌に音符を飛ばす。私は笑顔で「本当だ。私の大好きなドーナッツや~」と答える。
こんなやり取りをするようになったのは、高2の夏休みからだ。 大阪・京都へ一人旅をした。ビジネスホテルにでも泊まる予定だったのだが、両親の助言のもと、大阪に住む十四歳年の離れた兄の所へ滞在することになった。滞在期間の二週間、兄は仕事で忙しく、私はほとんど一人で色んな所へでかけた。二回だけ京都にも行った。一回目は一人で、二回目は兄とだ。
その一回目。一人で京都へ出掛けた日の帰り、行列ができているドーナツ屋さんを見つけた。気になった私はその列に並び、ドーナツを兄と私の二人分を購入して帰った。
その日から、兄の中で「私の好きな食べ物=ドーナツ」となったのだ。私は何度も兄に、私の好きな食べ物はチョコレートだと主張したのに。
ある日、兄が両親に「恵里が初めてお兄ちゃんに買ってきてくれたのは、ドーナツなんよ。あの時は嬉しくて、涙が出そうやったわ~」と、あまりに嬉しそうに話すので、私は驚いた。なんとなくドーナツを買っただけなのに、そんなに喜ぶものなのか。でも、嬉しそうに話す兄を見て、私の中で妙にドーナツが愛らしくなった。
世の中には色んな食べ物がある。その中に私の好きな食べ物がたくさんあるが、ドーナツは特別な食べ物だ。兄のにこやかな横顔を見て、私はそんなことを思った。
こんなやり取りをするようになったのは、高2の夏休みからだ。 大阪・京都へ一人旅をした。ビジネスホテルにでも泊まる予定だったのだが、両親の助言のもと、大阪に住む十四歳年の離れた兄の所へ滞在することになった。滞在期間の二週間、兄は仕事で忙しく、私はほとんど一人で色んな所へでかけた。二回だけ京都にも行った。一回目は一人で、二回目は兄とだ。
その一回目。一人で京都へ出掛けた日の帰り、行列ができているドーナツ屋さんを見つけた。気になった私はその列に並び、ドーナツを兄と私の二人分を購入して帰った。
その日から、兄の中で「私の好きな食べ物=ドーナツ」となったのだ。私は何度も兄に、私の好きな食べ物はチョコレートだと主張したのに。
ある日、兄が両親に「恵里が初めてお兄ちゃんに買ってきてくれたのは、ドーナツなんよ。あの時は嬉しくて、涙が出そうやったわ~」と、あまりに嬉しそうに話すので、私は驚いた。なんとなくドーナツを買っただけなのに、そんなに喜ぶものなのか。でも、嬉しそうに話す兄を見て、私の中で妙にドーナツが愛らしくなった。
世の中には色んな食べ物がある。その中に私の好きな食べ物がたくさんあるが、ドーナツは特別な食べ物だ。兄のにこやかな横顔を見て、私はそんなことを思った。
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03:17
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2012年05月12日
私の家族/仲のいい5人
私の家族の紹介をします。
お父さん。36歳でパソコン関係の仕事をしている。勉強ができ、物をつくるのが趣味。昨年8月に家を建ててから、園芸にハマっている。時には優しく、時には厳しい。そんなお父さんはとても頼れる存在だから、いつも相談相手になってもらう。よく一緒に散歩に行く。お父さんに対する反抗期はこないだろうと思うほど、本当に仲が良い。
お母さん。週に2回、小学校前の公民館で、珠算・暗算の先生をしている。料理がとても上手で、たまに一緒にお菓子を作ったりする。一緒にランチへ行くと、女同士でいつも話しが盛り上がる。買い物へ行くと、私と同じでいつも長くかかる。しっかり者のお母さんは、私とは正反対の性格だけど、私と本当に仲が良い。
弟。中3と中2のおバカな弟。暇な時は、テレビかゲーム。現代っ子の象徴だと思わせるほど、ほとんど外で遊ばない。年が近いせいか、弟2人はいつもケンカをしている。バカだなぁと思いながら、いつも放置。「お姉ちゃん、この問題分からんけん教えて」。そう言われ、持ってきた問題を見る。「こんな問題も分からないほどバカなのか」。いつもそう思う。本当にバカすぎる弟だ。
私の家族は本当に仲が良い。家族でよくBBQをするし、ラウンドワンにも遊びに行く。隠し事はないんじゃないかと思うほど、たくさん話す。一緒にいると、たくさん笑う。けれど、やっぱり1番仲が良いのは、姉弟だと思う。
私が大学生になり、家にいることが少なくなった。バイトがある日、家に帰ると弟たちはもう眠っている。会話をしない日が続いた。そんな時、母から「涼太郎(中3)が『最近、お姉ちゃんと会話してない…』っち、寂しそうに言いよったよ」と聞いた。いつも生意気だけど、やっぱり可愛い。
将来、私もこんな家族を築きたい。
お父さん。36歳でパソコン関係の仕事をしている。勉強ができ、物をつくるのが趣味。昨年8月に家を建ててから、園芸にハマっている。時には優しく、時には厳しい。そんなお父さんはとても頼れる存在だから、いつも相談相手になってもらう。よく一緒に散歩に行く。お父さんに対する反抗期はこないだろうと思うほど、本当に仲が良い。
お母さん。週に2回、小学校前の公民館で、珠算・暗算の先生をしている。料理がとても上手で、たまに一緒にお菓子を作ったりする。一緒にランチへ行くと、女同士でいつも話しが盛り上がる。買い物へ行くと、私と同じでいつも長くかかる。しっかり者のお母さんは、私とは正反対の性格だけど、私と本当に仲が良い。
弟。中3と中2のおバカな弟。暇な時は、テレビかゲーム。現代っ子の象徴だと思わせるほど、ほとんど外で遊ばない。年が近いせいか、弟2人はいつもケンカをしている。バカだなぁと思いながら、いつも放置。「お姉ちゃん、この問題分からんけん教えて」。そう言われ、持ってきた問題を見る。「こんな問題も分からないほどバカなのか」。いつもそう思う。本当にバカすぎる弟だ。
私の家族は本当に仲が良い。家族でよくBBQをするし、ラウンドワンにも遊びに行く。隠し事はないんじゃないかと思うほど、たくさん話す。一緒にいると、たくさん笑う。けれど、やっぱり1番仲が良いのは、姉弟だと思う。
私が大学生になり、家にいることが少なくなった。バイトがある日、家に帰ると弟たちはもう眠っている。会話をしない日が続いた。そんな時、母から「涼太郎(中3)が『最近、お姉ちゃんと会話してない…』っち、寂しそうに言いよったよ」と聞いた。いつも生意気だけど、やっぱり可愛い。
将来、私もこんな家族を築きたい。
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03:12
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2012年05月12日
私の家族/後悔
私は、5年前までペットのうさぎを飼っていました。名前は「みみちゃん」。小学2年生のころから、約7年間飼っていました。体の全体が茶色で、耳がたれている「ロップイヤー」という種類のうさぎでした。
みみちゃんとの出会いは、ペットショップ。生まれて1ヶ月ぐらいの子うさぎが、1つのケージの中に3、4匹ほど入れられていました。みみちゃんは、眠っている他の子うさぎの下敷きになって、おとなしくじっとしていたのが印象的でした。私はそれを見て「あのうさぎ、かわいそう! 他のうさぎにいじめられちょんのかなあ」と思い、とても気になりました。
次の週もペットショップに行くと、またしても、他の子うさぎに踏みつぶされていました。助けてあげたいという気持ちと、動物が好きだったこともあって、「飼いたい」と思うようになりました。何度も「ちゃんとお世話するけん!」と言って、両親に飼うことを頼んだ記憶があります。
「ちゃんと私がお世話する」と言って、飼うことになったみみちゃんですが、結局、お世話していたのはお母さんです。私がみみちゃんのお世話をしていたのは、最初だけでした。何をするのにも「最初だけ」の私。そんな私の責任感と継続性のなさに後悔したのは、みみちゃんが死んでからでした。
私がお風呂からあがると、何故かお父さんとお母さんが泣いていました。「みみちゃんが死んだ」。私は信じられませんでした。何の前触れもなかったのに、死は突然でした。小学生の頃は、撫でたりしてふれあったりしていたけど、中学生になってからは部活ばかりで、全然と言っていいほど構っていませんでした。寂しさと後悔と申し訳なさで、頭がいっぱいになりました。
「あとで」とか、「また今度」とか、よく使う言葉です。だけど、その「あとで」が必ずあるわけじゃない。後悔しない生き方をしたいと心から思います。
みみちゃんとの出会いは、ペットショップ。生まれて1ヶ月ぐらいの子うさぎが、1つのケージの中に3、4匹ほど入れられていました。みみちゃんは、眠っている他の子うさぎの下敷きになって、おとなしくじっとしていたのが印象的でした。私はそれを見て「あのうさぎ、かわいそう! 他のうさぎにいじめられちょんのかなあ」と思い、とても気になりました。
次の週もペットショップに行くと、またしても、他の子うさぎに踏みつぶされていました。助けてあげたいという気持ちと、動物が好きだったこともあって、「飼いたい」と思うようになりました。何度も「ちゃんとお世話するけん!」と言って、両親に飼うことを頼んだ記憶があります。
「ちゃんと私がお世話する」と言って、飼うことになったみみちゃんですが、結局、お世話していたのはお母さんです。私がみみちゃんのお世話をしていたのは、最初だけでした。何をするのにも「最初だけ」の私。そんな私の責任感と継続性のなさに後悔したのは、みみちゃんが死んでからでした。
私がお風呂からあがると、何故かお父さんとお母さんが泣いていました。「みみちゃんが死んだ」。私は信じられませんでした。何の前触れもなかったのに、死は突然でした。小学生の頃は、撫でたりしてふれあったりしていたけど、中学生になってからは部活ばかりで、全然と言っていいほど構っていませんでした。寂しさと後悔と申し訳なさで、頭がいっぱいになりました。
「あとで」とか、「また今度」とか、よく使う言葉です。だけど、その「あとで」が必ずあるわけじゃない。後悔しない生き方をしたいと心から思います。
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03:07
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