2012年07月10日
7月10日の記事
感動したこと/ブランコ 2125044 倉重仁美
私は小学2年生までアパートに住んでいた。私は本当に遊ぶことが大好きで、二つ結びのやん
ちゃガールだった。当時のあだ名は「番長」。たぶん、よく男の子を追いかけまわしていたから
だろう。私のアパートの裏には川があり、その川を渡ると小学校のグラウンドにたどり着くこと
ができた。川を渡るのは禁止されていたけれど、遅刻しそうになったときだけはこっそり渡って
いた。また、私のアパートの目の前には少し小さめの公園があった。その公園にはブランコ、鉄
棒、滑り台、シーソーがあって、小学校に遊びに行くより、この公園のほうが近かったため、よ
くこの公園で遊んでいた。だから、この公園にはたくさんの思い出がある。鬼ごっこや缶けりな
ど小さいころよくした遊びを近所の友達とやった思い出、初めて補助なし自転車に乗れた思い
出、お兄ちゃんと張り合って一輪車の練習をした思い出、シーソーの取り合いで男の子を思いっ
きり泣かせた思い出。数えきれないほど思い出はあるが、その中でも一番よく覚えているのが
「ブランコ事件」だ。
その公園のブランコには2人しか乗ることができなかった。だからよく取り合いになった。平
等に乗るため、30秒ルールを作って交代で乗っていた。そのため、ブランコの棒にはストップウ
ォッチがかかっていた。30秒間にいかに漕ぐかを競っていた私達は、加減もわからないままブン
ブン漕いでいた。ブランコの後ろには大きな木があって、最大限に漕ぐと木に当たっていた。あ
る日、私達はいつものようにグングン漕いでいた。もう一漕ぎで最大限になりそうなときに、い
きなり友達が「木にクモがいる!」と叫んだ。私はとっさの判断からか、ブランコから降りよう
とした。見事にブランコから離れることができたが、最大限に漕いでいたため、予想外に飛んで
いった。空中にいるときはスローモーション状態だった。空を飛んだ。感動した。
私は小学2年生までアパートに住んでいた。私は本当に遊ぶことが大好きで、二つ結びのやん
ちゃガールだった。当時のあだ名は「番長」。たぶん、よく男の子を追いかけまわしていたから
だろう。私のアパートの裏には川があり、その川を渡ると小学校のグラウンドにたどり着くこと
ができた。川を渡るのは禁止されていたけれど、遅刻しそうになったときだけはこっそり渡って
いた。また、私のアパートの目の前には少し小さめの公園があった。その公園にはブランコ、鉄
棒、滑り台、シーソーがあって、小学校に遊びに行くより、この公園のほうが近かったため、よ
くこの公園で遊んでいた。だから、この公園にはたくさんの思い出がある。鬼ごっこや缶けりな
ど小さいころよくした遊びを近所の友達とやった思い出、初めて補助なし自転車に乗れた思い
出、お兄ちゃんと張り合って一輪車の練習をした思い出、シーソーの取り合いで男の子を思いっ
きり泣かせた思い出。数えきれないほど思い出はあるが、その中でも一番よく覚えているのが
「ブランコ事件」だ。
その公園のブランコには2人しか乗ることができなかった。だからよく取り合いになった。平
等に乗るため、30秒ルールを作って交代で乗っていた。そのため、ブランコの棒にはストップウ
ォッチがかかっていた。30秒間にいかに漕ぐかを競っていた私達は、加減もわからないままブン
ブン漕いでいた。ブランコの後ろには大きな木があって、最大限に漕ぐと木に当たっていた。あ
る日、私達はいつものようにグングン漕いでいた。もう一漕ぎで最大限になりそうなときに、い
きなり友達が「木にクモがいる!」と叫んだ。私はとっさの判断からか、ブランコから降りよう
とした。見事にブランコから離れることができたが、最大限に漕いでいたため、予想外に飛んで
いった。空中にいるときはスローモーション状態だった。空を飛んだ。感動した。
Posted by 芸短ネット演習 at 21:26│Comments(0)
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