2012年05月28日

私の家族/マイスター、マイマザー

 友達と話していて、自分たちの家族の話題になると、私はいつも身構えてしまう。小さい頃は、4人兄弟であると告白することさえ恥ずかしかった。親が離婚していると聞いて、なんかごめんね、と言われると、どう返せばよいのかは今でもわからない。
 堂々と、人に話せるような家庭ではないのかもしれないと思ってしまう自分が嫌になるから、余計、家族の話はしたくなかった。
 でも、敢えてしなければならないのだとすれば、私は母の話をしようと思う。幼いころの記憶に、母はほとんど登場しない。たとえば、部屋の隅でアイロンをかける豊かな髪の黒さ。一緒に道を歩くときに繋いだ、手のあたたかさ。父親の暴言を受ける、静かな姿。
 一体、どうやって4人の子供を抱え引越しをしたのか。一体、いつ働いて私たちを食べさせてくれたのか。あいまいなまま、私は育ってしまった。だから、思わず「ジュラシックパー・・」と呟いてしまうようなボリュームのおしりを身にまとい、その言葉を聞いて笑ったり怒ったりする今の母と、記憶の中の母が、私の中で一致しない。同じ人物とは思えないほど、今、目の前にいる私の母は、表情豊かで、元気で、少しふくよかだ。
 2回りも3回りも年の離れた、若いハリウッド俳優の載ったポスターを嬉しそうに壁に飾る様子や、オリジナルの体操を毎日一生懸命やる表情、テレビをつけてはすぐに寝る、仕事帰りのその疲れた顔も、全部好きだと言える。3年ほど前に、私は母の背を越えてしまった。ふざけて抱っこするみたいに持ちあげると、見た目よりはるかに軽かった。
 最近、何気ない話もしてくれることが増えてきたように思う。そのぶん、ちょっとしたことで言い合いをすることも増えた。でも、それも含め私を、もう自分が食べさせてやる子供ではなく、1人の人間として対等に接してくれているのかと思うと、少しだけ、自分が誇らしい。
 これからは、私が母に何かしてあげる番だ。でも、ごめんなさい。ジョニー・デップとの子供はつくれません。



Posted by 芸短ネット演習 at 07:18│Comments(0)
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