2012年05月13日

私の家族/寡黙な背中

 父は昔から寡黙な人物だった。
 一緒に笑った記憶もないし、逆に、怒られた記憶もない。覚えているのは、私に背を向けて座っている父の姿だけだった。
 物心ついた時から父とあまり会話をしていなかった。喋ることと言えば「おかえり」「ただいま」という挨拶くらいで、父の仕事が休みの日曜日は、私はいつも自分の部屋でこもってばかりだった。
 幼い頃の苦い記憶は今でも苦い。父兄参観で、クラスメイトの明るいお父さんたちから浮きまくっていた父が、私にとって何よりのコンプレックスだったことを覚えている。
 そんな父を、私はいつしか遠ざけるようになった。別に喋ったところで話題などないわけで、私は父と会話しないことを気にしてなどいなかった。そして同じように、父も同じ気持ちでいるのだろうと思い込んでいた。正確には、思い込んでいるだけだった。
 高二の冬、修学旅行で東京を訪れた。めったに味わえない都会は、本当に楽しく、家のことなど忘れて友達とはしゃいでいた。
 大分に帰る前日の夜、ホテルで何気なく開いた携帯に、母からメールが一通届いていた。内容は「明日、気をつけて帰ってきなさいよ。お父さん、心配してるから」というものだった。私は目を疑った。父が私のことを心配するなど、想像も出来なかったからだ。
 帰宅した夜、家に母はまだ帰っていなかった。私を出迎えたのは、いつものように、私に背中を向けて座った父だった。私はいつものように「ただいま」とだけ言って、階段を上がろうとした。その時だった。「東京、楽しかったか?」。久しぶりに聞いた、父の疑問文だった。私はとっさに「うん」と答えた。父も「そうか。良かったな」とだけ言った。
 気のせいか、いつもの寡黙な背中が、小さくなったように思えた。



Posted by 芸短ネット演習 at 06:41│Comments(0)
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