「Life」
先月、親戚のおじいちゃんが86歳で亡くなった。肺ガンだった。
私はおじいちゃんを思い出すとき、笑顔の表情が浮かぶ。それはきっとあいさつ
にあると思う。あいさつをすると、何故かおじいちゃんはこちらを見て、ただ「に
こにこ」と微笑むだけだ。でも私はその優しく穏やかな表情が好きだった。
ガンが見つかったのは、亡くなる7カ月前の昨年11月。持病の喘息が悪化し、
病院に行った際発見された。その時すでに末期だった。手術をしても効果は期待で
きない為、自宅療養を勧められた。
ガン告知を受けてもおじいちゃんはこれまでと変わらなかった。煙草を医師に厳
しく注意されながらも吸い、農作業までしていた。だから私は、残された時間があ
とわずかだという事を忘れてしまっていた。
亡くなる2週間前に入院した時、行けたはずのお見舞いに私は行かなかった。と
言うより、行けなかった。弱り、苦しんでいる姿を見るのは辛かったからだ。しか
し、その事を今すごく後悔している。失くしてしまってからでは遅すぎるという事
を思い知った。
葬儀も終わり、納骨の日を迎えた。納骨が無事終わり、ふとお墓の傍を見ると、
瓜のつるが見えた。かわいらしい黄色い花と小さな実を付けていた。コンクリート
の隙間にしっかりと根を張り、悪条件の中でたくましく育っていた。一生懸命太陽
に向かってつるを伸ばし、その時を力強く生きる姿は、キラキラとまぶしく思え
た。そして何故かおじいちゃんを思い出させた。人から何と言われても好きな煙草
を最後まで吸い、自慢の野菜を作り、めいっぱい自分の人生を生きた姿に似ている
気がした。
私は、亡くなってしまった命の分、新しい命が生まれているという事を実感し
た。命には限りがあるから生きている事が素晴らしく、輝いて見えるんだと思っ
た。そして長さより、どう生きたかが大切なんだと感じた。自分に後悔しないよう
に、幸せだったと思えるように、これからを歩んでいきたい。